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ディケーター()は、アラバマ州モーガン郡とライムストーン郡に跨る都市であり、モーガン郡の郡庁所在地かつ人口最大の都市である。北アラバマのテネシー川沿い、ウィーラー湖岸にあるので、親しみを込めて「川の都市」と呼ばれている。2010年国勢調査での人口は55,683人だった〔。 ローレンス郡とモーガン郡の2つの郡で構成するディケーター大都市圏の中核都市でもあり、2006年の都市圏人口は150,125 人だった。ハンツビル大都市圏と組み合わせて、ハンツビル・ディケーター広域都市圏を構成している。この広域都市圏ではハンツビルに次いで第2の都市である。 ディケーター市は、19世紀初期にできた南部の多くの都市と同様に、川沿いにあることがその成長の要因になった。鉄道が通り、川の交通が使えたことで、北アラバマ経済圏の先鋭となった。テネシー川バレーの中で大きな経済中心に成長し、テネシー州ナッシュビルやチャタヌーガとアラバマ州モービル、ルイジアナ州ニューオーリンズを結ぶ交通の結節点になった。20世紀を通じて緩りとした成長を続けたが、宇宙開発競争の時代にハンツビルが急成長したので、地域の経済中心の座を奪われてきた。現在の市経済は製造業、輸送業、およびゼネラル・エレクトリックやユナイテッド・ローンチ・アライアンスに代表されるハイテク産業に基づいている。 == 歴史 == ディケーター市となった地域は当初「ローズ・フェリー・ランディング」と呼ばれていた。1810年代にテネシー川を渡す渡し船を運航した開拓期初期の土地所有者ヘンリー・W・ローズ博士に因んで名付けられていた。その船着き場は現在ローズ・フェリー公園となっている。ディケーター市は1821年に現在の名称で法人化された。市名は米英戦争やバーバリ戦争で英雄となったアメリカ海軍軍人スティーヴン・ディケーターに因んでおり、ディケーター市が法人化されたのは、スティーヴン・ディケーターが決闘で死んだすぐ後のことだった。ジェームズ・モンロー大統領がアラバマ州の町にディケーターの名前を付けるよう指示したとされている。 ディケーターはその開発初期に北アラバマで大変重要な位置にあった。1830年代初期にアパラチア山脈より西では初の鉄道であるタスカンビア・コートランド・アンド・ディケーター鉄道の東端になった。1850年、この鉄道はメンフィス・アンド・チャールストン鉄道に組み入れられた。 テネシー川沿いにあり、主要鉄道2本が川を渡す戦略的に重要な地点にあったので、南北戦争の時は何度か戦闘が起こった。戦争初期に北軍が町を占領すると、その指揮官は町の4つの建物を除いて他を全て破壊するよう命じた。町の教会に使われていた煉瓦が、兵士を収容する建物の暖炉や煙突に使われた。残された4つの建物とは、旧州立銀行、ダンシー・ポーク家屋、トッド家屋、バールソン・ハインズ・マッケンタイア家屋であり、現在も残っている。アトランタの戦いで北軍が勝利した後、ジョン・ベル・フッド将軍の指揮する南軍が、1864年のディケーターの戦いでほとんど守備兵のいなかったディケーターを短期間占領したことがあった。このときディケーターは「割りがたい木の実」と呼ばれた。 ディケーターが南軍の支配下にあるとき、バールソン・ハインズ・マッケンタイア家屋でシャイローの戦いの作戦が練られた。これらのことで、この家屋はディケーター市でも最も歴史ある建物の1つとなっている。 灰燼となった旧ディケーター市の鉄道より西側にニューディケーター市(オールバニ)が造られた。ニューディケーター市は1887年に設立され、1889年に法人化された。しかし元ディケーター市民は、北部州から移ってきた人々によって設立され占有された新しい町に満足できなかった。1916年9月にニューディケーターがオールバニと改名するまで敵対意識が続いた。このオールバニはニューヨーク州オールバニ市から名前が採られた。オールバニとディケーターの2つの町を統合する動きは、テネシー川を渡す渡し船の代わりに橋を架ける必要性から生まれた。両方の町から同数の委員が出て構成されたディケーター・キワニス・クラブが、州に橋の建設を働きかけた。1925年、2市が合併して新しいディケーター市となった。町の両側には明らかな違いがある。市は異なる時期に異なるやり方で発展し、現在でも幾らか異なる文化がある。東部はより郊外的で伝統を重んじ、西部はより都会的で近代風に見られる。 中心街の外れにある旧州立銀行ビルはアラバマ州でも最古の銀行ビルであり、173年の歴史がある。国内初の波のあるプールが市内に造られ、ポイント・マラード・アクアティック・センターで今も使われている。州内では最大のビクトリア様式建築の町並みがある。コタコ・オペラハウスは州内最古のオペラハウスであり、ジョンストン通りにある。 過去に市内にあった工場としては、ルイビル・アンド・ナッシュビル鉄道の修繕工場、車両工場、エンジン工場、瓶詰め工場、製材所、サッシとブラインドの工場、タンニン酸工場、農薬工場、葉巻工場、小麦粉工場、綿実油工場、などがあった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ディケーター (アラバマ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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